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取材場所と背景

撮影場所  

東京 

庄司画伯の自宅・アトリエ

インドネシア 

スラウェシ島マナド
トモホン
トンダノ
ラングアン
ジャカルタ

地図作成:池田真里子

庄司栄吉の太平洋戦争

昭和16年秋 絵描きへの夢と文展入選

昭和16年12月 太平洋戦争への突入

昭和17年1月 蘭領東インド(インドネシア)攻撃開始
         (海軍落下傘部隊セレベス島マナド攻撃)

昭和17年3月 蘭領東インド全島占領・軍事支配開始

昭和17年秋 東京美術学校(現東京芸大)繰上げ卒業、兵隊検査

昭和18年 海軍のセレベス教員募集、応募、赴任
全寮制のトモホン男子中学校、女子中学校、師範学校で日本語、絵画を教える。
米軍の爆撃が激しくなり学校閉鎖、トモホンから司令部のあるトンダノへ避難。(トンダノにあるカンプンジャワ村で毎日のようにスケッチを描く)
昭和19年 ラングアンの臨時指導所開設、赴任。
戦況悪化・臨時指導所閉鎖(教え子たちが別れのメッセージをノートに綴る)
昭和20年8月 終戦、再びトモホンへ。
そして、マディディールの日本人キャンプでの収容所生活(絵を描いた少女の父親が鶏を手に40kmもの山道を歩き訪ねてくれたが会えなかった)
昭和21年5月 帰国命令、帰還にあたりメナドまで50kmの行軍。
   (背負う荷物の重さに耐えかね、捨てたセザンヌの画集が戻った)
    (教え子の物陰からの見送りの眼)
帰還船への乗船、そして帰還、和歌山県田辺港への上陸(荷物検査で没収されたスケッチ画)

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